お前は世の中に出て行こうと望んで、自由の約束とやらを土産に、手ぶらで行こうとしている。ところが人間たちはもともと単純で、生れつき不作法なため、その約束の意味を理解することもできず、もっぱら恐れ、こわがっている始末だ。なぜなら、人間と人間社会にとって、自由ほど堪えがたいものは、いまだかつて何一つなかったからなのだ! この裸の焼野原の石ころが見えるか? この石ころをパンに変えてみるがいい、そうすれば人類は感謝にみちた従順な羊の群れのように、お前のあとについて走りだすことだろう。もっともお前が手を引っ込めて、彼らにパンを与えるのをやめはせぬかと、永久に震えおののきながらではあるがね。
悪魔『カラマゾフの兄弟』ドストエフスキー
さて、今回の命題はこの問いかけでございます
「世の中にほんのちょっとだけ存在した共産主義国家はすぐに崩壊しましたね」
………え、と
だからね
「崩壊」したり
「一党独裁」の支配体制をしいたり
自国から有能な学者や芸術家を追い出したりする
そんなバカみたいな国「だけ」を選んで
「共産主義」国家扱い
するのやめてくれないかな、と
前回のような流れに
もっていってもいいんだけどさ
でも、それではあまりにも
芸がなさすぎるので
別の方法で話してみるよ
前回の相手より
話しかける対象は広がりそうだからね
いくぶんか
まず
「共産主義が実現した国」という言い方自体が
二次元界に生きる命が存在し、そのことが証明されたというような
ばかげた物言いにほかならないのだけど
まずは試しに
「民主主義が実現した国」とか
「自由主義が実現した国」とか
自らの心に、問いかけてみてよ
そんな国があるのか、あるとしたらそれはどこの国か
ついでに
「神の国が実現した国」とか、(すでに言葉自体が破綻してるけどね)
「日本は神の国」
シンキローhttp://keizai.yokkaichi-u.ac.jp/~ikeda/opinions/mori.html
「神の国が実現した国」
唱えてみることをおすすめする
そんな国があったか、あったとしたらそれはどんな国か
でも、今回は
そんなことも
いわない
なぜかって?
常々こういうことを言うと
こんなふうな反応がくるから
「わかんな〜い、あたしバカだから、
そんな見下し目線じゃなく
もっとわかりやすく教えて、
お・じ・さ・ん」
なんて色目を使ってくる
気色悪いのがいるから
こちらも精一杯、鼻の下を伸ばして、
なるべくわかりやすく
考えを述べることにする
おほん
まず、「共産党」について
ナチスが欧州で猛威をふるっているときに
活躍したのは共産党である
ロシアで農奴制に対抗するために
活躍したのが共産党である
中国で軍部の支配から主権を奪還するために
活躍したのが共産党である
間違いがあれば指摘していただきたい(適当に書いた)
いくらでも訂正する、削除する、撤回する
だが、これだけは言える
オキナワの帰属と自治をめぐって
島に吹き荒れた反動の嵐
その凶悪な権力に対抗したのは
日本共産党の 瀬長亀次郎 という
本物の代議士だった
わたしのなかで
ひとつの事実として確認できること
それは
強烈な反動の嵐が吹き荒れるとき
それに抗する手段として
有効だったのがアカの思想なのだ
ということ
ときに怪物ともたとえられる権力の暴走
それが
われわれの社会に牙を剥いてくる
まんべんなく敷き詰められた
人間の極彩色のモザイク
そのあたたかい模様を分断してくる
切り刻んでくる
そこに対抗するための横糸が
アカの思想なのだ
この七色の世界で
われわれの精神の自由を保障するのがアカの思想なの、よ
おわかりか
くれぐれも勘違いしないでね、
これは実現するとかしないとか
そういう話とは全然違うから
たとえばこれは
実際には存在し得ない
零とか点とか直線とかを扱う数学が
現実界、この三次元の世界を語るのに
有効な意味をもってくるのと同様のことであって
それはまた
こういうふうにもいえる
天動説をひっくり返したのは
それ自体では抽象的な意味しか持たない
数学という論理であったということを
価値のあることだと受け取るかどうかに
わたしたちにとっての
論理の意味は存在するのだ、と
それで実は今の日本のように
権力の側、力を持つものの側が
格差をあおり、敵をあおり、差別をあおり
そのことによって人々が分断され
その裁断者、つまりは独裁者を求める、そんな社会が現出するとき
そこを戒めるために
現れるのがアカの思想なのだ
人間として真っ当な教育を施されたものが
虐げられ続ける
もうたくさんだという場に追い立てられると
そうなると必然として
アカの思想に依らざるを得ない
(あたしの場合は
数学や物理と同じように
経済「学」とか苦手だし、社会「科学」とか、
マルキシズムなんて面白み感じないし
そんなこと本当はいやなんだけどね)
そういうことなのよ
これは実際に地獄が現出してはじめて
その本来の意味にもとづいた
奇跡をなしえるという
「おおいなるもの」がわれわれに託した
神仏の言葉とよく似ているのだが
それをありがたいことだといただくかどうかに
わたしたちにとっての
言葉の価値は存在する
難しいかな
難しいかも
難しいよね
全然うまく言い得てないのかもしれない
でも
これをわかりやすく語ることはわたしにはできない
ただ
実際に惨状が現出し血が流される前に
繰り返し唱えることによって
地獄の扉を封印することができるというのが
その「言葉」の本来の役割であった
そこを忘れて
そこを誤魔化して
そこを飛び越えて
凄惨な現状に則して極端に傾くと
その運動の所属がどちらであろうとも
情動の暴走によって反対側に突き抜けてしまう
これは確かなことだ
だからそうならないうちに
理不尽な暴力や虐殺がシステム化され
それを糊塗するために
焚書が行われたりしてそのあげく
怒れる民衆がその貴重なバイブルを手に 革命 を、
と、いうところまでいかないうちに
なぜに 平和的 に
その思想を取り入れることができないのか
誰も
スターリンのソ連がいいか、ラスプーチンの帝政ロシアがいいか
なんて
そんな「究極の選択」はいやでしょう
これまではうまくやってきたじゃないか
共産党も自民党もいっしょになって
国民のために
日本国憲法をありがたくいただいて、それを守り
うまくやってきた
そうじゃないの
保守のみなさん
革新の皆さん
長くなって申し訳ない
でもさ
わかりやすい話をすれば
無味乾燥な禁欲生活がマシか、核兵器や海兵隊がマシか
理念の従者がマシか、欲望の奴隷がマシか
人倫に殉じて死ぬか、けもの道を生きるか
われわれは
どっちを選ぶんだろね
というふうな話に
集約していくと
思うんだ
そこで考える
どっちにしても
こんな問いかけつまんないし
そんなぎりぎりの選択をせまられるのはいやじゃん
だから
実際そうなる前に
その話をしてるってわけだ
現実主義という感染症が蔓延した社会の話
それなのに
よほど幸せなみなさんは
あたしらの話が
魅力的じゃないなんて言うんだよね
もう、おじさん困っちゃうんだよな
でもさ、でもでもでもだからこそだよ
わかってらっしゃるみなさん
やっぱりこんなぎりぎりっていやでしょ
今、余裕をもって語れるみなさんは
この社会にかけているのは何か
そこに目を向けようよ
これまであって、今、なくなろうとしているものを
……うん
保守でも革新でも右翼でも左翼でも上でも下でも
そこに欠けているもの
あたしは 理想 を語る言葉だと思うんだ
ここに足りないもの
みんなで夢を語り合わないか
世界の夜明けは近いぜよ
こっけいがどうだというんですか? 人間なんて、いったい何度こっけいになったり、こっけいに見えたりするか、わからないんですよ。それなのに、この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。
アリョーシャ 『カラマゾフの兄弟』ドストエフスキー
人間、
理想をなくしちゃあおしまいだ
少なくともあたしの「人」生は終わる
子どもらに
未来永劫呪われる
そんなことだけは死んでもごめんだ
だからあたしは「理想」を語る
日本国憲法の理念に従う
人類の夢に殉ずる
何度失敗してもいい
そのたびに立ち上がればいい
一からやり直せばいい
だから
絶対に
悪魔に魂は売らない
そのためのおしゃべり
実際に悪魔が牙をむいたら
対抗するすべをもたないから
今べらべらしゃべってるんだよ
あたしは
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以上、1文158文字で綴ってみました。結構、わかりやすいじゃん。あたしって論理性がある文章だ。て図々しい。
沖縄の歴史を沖縄に住まない人びとが語ることはできない。そう思っています。ごんさんが記されている瀬長亀次郎。ついに、生前の亀さんをこの眼でみることは私はできませんでした。残念無念です。
日本共産党の権力分析によれば、日本を支配するのは日本の財界・大企業と「アメリカ帝国主義」のはずですが、それと敢然として対峙しえたのは、ひとつは亀さんであり、沖縄の人びとであったのでしょう。
時代はかわりましたが、いきている法則は今も少しもかわらない。そう思うのです。
ブログという、実力以上の世界として世間では描かれがちの世界に住む、私もふくめたブロガーたちは、自らの言説の力を過信してとらえがちです。勘違いをするのです。まあ、回りのブロガーたちの狭い世間はとてもたとえようがない代物だと率直に私は思っています。
常々思うのは、どんなに勇ましいブロガーの言葉よりも、全国の、地域の小さな確実な運動に私は心を奪われるのです。また、そこに自身の身を置いておきたいと思っているのです。
たとえば、最近では、拙ブログでも取り上げた横須賀の住民投票を求める運動のように。むろんブログの言説の力を無きにするものではないのですが。
では。
>知識というのは蓄積されないものですねえ
政治が特権だった時代というのがあるのでしょうか。その特権を有する人たちが自らのステイタスのために「政治を」語ることを利用した。だからその連中はむしろその技術の継承を遮断したんです。政治について自らの頭で考え、自らの口で隣人と語る。腐れマスゴミの跳梁跋扈とジャーナリズムの堕落はその連中、そんな「政治を語ることを飯の種にしている」連中が引き起こした必然の帰結です。そしてそういう現状をつくったのは、より刺激的な政治ネタを求め続けてきたわたしたち、「テレビの前の」大衆です。
♪昨日のニュースなんて誰も欲しがらない
スポーツも、生活の中にどっぷりひたっている監督たちが床屋やタクシーの中や赤提灯の下で好き勝手言い合っているうちが、その本来の姿で生き生きとするものです。今は「飯のタネ」にする連中と下衆の好奇心に食いつぶされてつまらなくなった。全部テレビの枠内に収めようとするから裾野の広がりがなくなる。富士山の頂上の映像なんて誰がありがたくいただくもんですか。そんなもの1度見ればもうごちそうさまです。そりゃ、自分の足で登って到達したら気持ちいいだろうけど、それと富士山の美しさはまったく別。
うまいだけでは人は動かない。論の合理性とそれによって人が動くかどうかは何のかかわりもない。最近、小林秀雄がわかってきたような気がします。ヒトラーを悪魔と形容した「論にならない批評」を書きつづけた文筆家。少しだけですが。
え、長い文、野坂昭如は苦手です。が、『火乗るの墓』は何度読んでも泣けてきます。読めば読むほど。
>共産党には1議席もやるな
一度この言葉の意味を問い直す必要がありますね。
でも、このシンキローという方は
「日本は、〜神の国」
「(無党派層は)寝てしまってくれればいい」
「もともと国民の関心は、年金や税制の方が上で、郵政は下の方だった。賛成派も反対派も郵政のことばかり話したからだ。小泉さんも『郵政』『郵政』って余計なことをしゃべらせなかった。 みんな見事にひっかかった。小泉さんによる報道管制が敷かれたようなもんだよ。」
人がいいというのか、本音でものを仰る方ですね。あまりにもあけすけで馬鹿っぽいから、現実は着々と彼の思惑通り動いていることに気付かないのでしょうか。お利口で慎み深く、空気を読むのがお上手で「しつけ」の行き届いた日本人のみなさんは。
なかなか厳しいお言葉ですね。
もちろん草の根の運動は大切です。ですが地方には地方の壁というものがあります。たとえば一度少しだけ取り上げたことのある泡瀬干潟の問題にしても、住民投票をしたいという有権者の声、定められた人数分の署名に対して、沖縄市の議会は『住民投票は行わない』という議決をしました。……こんなときに無償で活動を続けている自由参加の市民の取るべき道は、やはり『草の根』の説得ですか。生活する時間、働く時間、寝る時間、すべて削って、それでもなお頑なな隣人に、こんな問題さえなければ友人であったはずの彼らの前で、面と向かって、憤って見せないといけないのでしょうか。自らの生活の場で。それができる方は尊敬しますが、わたしにはできません。信頼できるひとりを説得するのがせきのやまです。それでも相当の労力がいります。わたしには建設業関係の友人がたくさんいたのですが、今では疎遠になっています。それでも何も変わりません。彼らの生活も。沖縄の現状も。むしろどんどん悪くなるばかり……。
名護市での基地受け入れの住民投票では「賛成」・「反対」の選択肢のほかに「条件付き賛成」・「条件付き(条件付けても)反対」という選択項目が付けられていたと記憶しています。それでも反対の方が多かった。なのに、その後の市長選挙で覆された。そのあとの市民の『草の根』活動は文字通り命がけ、あるいは、人生をかけるものになってしまいました。そこに参加できないわたしたちは、ただ祈りをもって見守るほかはない。そうかもしれません。
でも、みんながその願いに耳を傾けるようになれば、そういう方がひとりでも増えてくれれば、何かが変えられるかもしれないじゃないですか。
行政がメディアと一体となってわれわれの弱みにつけ込んでくる現状を打破するためには、自らの持つ貴重な一票を、その祈りとともに遠くで頑張っている仲間たちに届けてくれる数十万数百万数千万単位の有権者の意志が必要です。それは絶望的だけど、やっぱり言葉の力に頼るしかないのだろうと、わたしは考えています。