家のそばの空き地をふらふらしているのを拾ってきた。わたしが家に連れてきたその日に、わたしたちの昼飯の残りと夕食用のご飯をたらふく食べ、そうして、ぱんぱんに膨らんだ腹のまま水を飲もうとしたのだろう、池に落ちてしまった。そこで大騒ぎをしているのを引っ張り出してやったら、体をぶるぶるとゆすって水しぶきを撒き散らし、まん丸い目でこっちを見る。愛らしい犬だった。ぽんと張ったお腹でぽんと池に落ちた。
わたしの父親は動物の本能というものに一目置いており、たとえ野良の子どもだとしても、生きるための能力をしっかり備えているものだ。という持論を常々語ったものだが、その犬の姿を見て、それ以来、そういうことを言わなくなった。動物にも、間の抜けたのもいるもんだとでも思ったのだろう。
その犬はポンと名付けられた。
ある日、うちに帰ってみるとその犬がいない。母親がこんな話をしてくれた。なんでもどこかで死にそうなおばあちゃんがいて、それはうちらの遠い親戚なのだけど、そのおばあちゃんの息子さんが茶色い犬を探している、と。
うちの島には、こんな言い伝えが残っている。アカイン(赤犬)は長寿の薬。それで、頼まれてしかたなく、くれてやった、ということだった。
わたしはものも言わず、一日中泣き続けた。いや、ひとしきり泣いた後、……さんざん泣いたその後には、感情を捨ててほうけていた。両親とは二度と口をきくもんかという覚悟だった。学校にも行くもんか……。
次の日、ポンは家に戻ってきた。前日のうちに連絡を取り、そうして先方に詫びを入れて連れ帰ってきたのだという。わたしはそのときの両親の選択を思うと心が痛い。死にそうなおばあちゃんとその息子さん、といっても今のわたしより一回りも年上だったと思うのだが、そのことを思うと心が痛い。
しばらくして、立ち退き交渉が難航し開通が滞っていた道路が完成した。つくりかけを放置されたような状態で4、5年はそのままだったろうか。その空き地が道路になった。
わたしたちの遊び場だった空き地、花火をし、ローラースケートで滑り、そこでポンと出会った。そこにできた、島で最も交通量の多いその道で、ポンは車にはねられて死んだ。間抜けな上に、舗道の歩き方、車の恐ろしさなど、まったく知らない犬だった。当時のわたしたちと同じように。自分の足で歩いてはいけない道があることを、教えてもらっていない犬だった。
その道の真ん中でポンという名の赤犬は死んだ。
家の土地は、そばに道路ができる、受益者負担ということで、屋敷の半分くらいの広さをただでその道路に提供したのだという。わたしが、なんでそんなので納得するかな、と愚痴ったら、道ができたからいいじゃないかと、父親は笑う。母親は、ちょっとくらいはごねても良かったかと、そんな含みも残しつつ、やっぱりしようがないよと笑っている。そんなわけで父親はこつこつと勤めを続けて家族の生活を守り、母親はそこに店を出してわたしを本土の大学へやった。
わたしはあの空き地で遊び、あの道で学んだ。
わたしは、両親を誇りに思っている。掛け値なしの善人だと思っている。わたしはその意味で天に、なにものかに感謝している。わたしを育てた両親は、間が抜けていて世情にうとく、最近では、頑固で、意地悪で、欲の張ったところもときたま見せる。だが、わたしにくらべれば可愛いもんだと思う。正直、今のわたしには二人のように子を育てていく自信はない。
しかし、だからといってこの責任を放り投げ、意識の底に沈めるわけにはいかない。水しぶきをふるって、愛くるしい目をしていたあの犬、道の歩き方を教えるのは、わたしの仕事だった。あの犬は、わたしが連れてきたのだから。こんな時代、子どもたちにどのように向き合い、何を伝えるべきか、わたしは考える。いつまでも考え続ける。
世の中はいつも、変わっているから 頑固者だけが、悲しい思いをする
変わらないものを、何かにたとえて その度崩れちゃ、そいつのせいにする
シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため
世の中はとても、臆病な猫だから 他愛のない嘘を、いつもついている
包帯のような嘘を、見破ることで 学者は世間を、見たような気になる
シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため
変わらないものを、何かにたとえて その度崩れちゃ、そいつのせいにする
シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため
世の中はとても、臆病な猫だから 他愛のない嘘を、いつもついている
包帯のような嘘を、見破ることで 学者は世間を、見たような気になる
シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため
中島みゆき『世情』




このエントリのTBが ちろのニホンヒハンの <ゆるいディストピア・・> に送られてちょっとビックリ。
さっき拝読して、言葉を失っていた処です。
私自身は子供(パートナーも)居ないのですが、中学の図書室の司書を 臨時で1年だけ勤めた事がありました。
幸い、生徒達からは歓迎され、本やマンガの話だけじゃなく、ココロの中の話、いじめの話など、ちょっと(実年齢では大分)年の離れた友達の様に おしゃべりに興じてました。
その中で どうしても云って置かなくちゃと感じたのは、生きて!という事。
たとえ今が苦しくても ツマラナクテモ 大人になるって良いよぉ〜!!!
と誇大広告(?!)してしまった・・。
彼女等 彼等がオトナになって、ちろの言う通りだった!と思ってくれるか、ちろのウソツキ!と思うか ちょっとコワイけど、まずは、キツイ毎日を生き延びて欲しい。
八方塞がりな日々もいつかは終わる 状況は変わることを経験してほしい。
そのための布石として 大人になったらばなしを かまして子供達を羨ましがらせてました。
gonさんの思索とは あさっての方向のコメントで・超ピントがはずれてるかも?ですが。
さすが宮古サイガ!
この味が、みんなにわかるなら苦労はないのですが…。
通ってはいけない道がある。まさしくそれなのですが、今の子どもたちにそれをどう伝えればよいのか。感覚がまったくちがう。
味の素の一振りが、どうにも足りない大人が多いから、子どもはなおさらです。
「世情」もいい曲ですね。
こんにちは
今日は気分不良で体調不良のふりをして、ドロップアウトした不良のようにふてくされて午後から仕事をさぼって家で休んでいます。
>たとえ今が苦しくても ツマラナクテモ 大人になるって良いよぉ〜!!!
全然、誇大広告なんかじゃないです。子どもに向き合って、そういうことを伝えることができる魅力的な大人がいないということが、この社会を息苦しい世の中にしているのです。
わたしたちが理想を語り、そのために頑張る姿を子どもたちに見せてやれなくて、なんで未来への道筋がつかめましょうか。
どうせこの世は変わらないんだから、世渡り上手にならなきゃね、なんて訳知り顔の連中は子どもにとっちゃ鬱陶しいだけなんだよ。ドロップアウトしたくもなる。
なんでそんなに情けないの、今のあたしたちおじさん世代。ごめんよちろさん、子どもたち。ちろさんは頑張っている。あたしも頑張る。りんりんりん。笑顔でりんりん。切り開きましょう。
最高にうれしいコメントでした。ちろさんだいすきです。すきすきです。あたしも114さんに便乗して、女神さまにまつりあげちゃいます。気分良くなってきました。鼻水も止まったようです。ありがと。
ようこそ、今日は多良川酒造の琉球王朝でいきましょうね。新しいのあけます。
さて、わたしがまず子どもに伝えたいのは、夜の8時にミュージックタウンのあたりをふらふらするなということではありません。わたしが子どもに知って欲しいのは、今は非力かもしれないけど、あなたは、わたしたちとこれからの社会をともに生きるパートナーで、だからこそ信頼しているのだという気持ちです。それと、人間は決してひとりではないということ。それを伝えることができれば人は道を踏み外しません。たとえ失敗はしても。そう、人は間違いを犯す。そして、そこから立ち直るときにのみ成長するのです。ただ、子どもたちにそんなふう成長してもらうためには歴史をしっかりと伝えなければいけません。歴史上の人類の過ちを見つめ、それを飲み込み、同じ人間である自身の罪科とすることで、人は自らの道を太くまっすぐに伸ばしていくのです。ただ、それは中学生の子どもにはまだはやい。だから、今はしっかりと寄り添うことです。われわれにはそれしかできません。
たしかに、わたしたちみゃーくぴつ、宮古人は、差別の対象だったかもしれません。そんなことを聞いたこともあります。しかし、うちの両親は、二人とも学生時代を本島で過ごしていますが、一度もそんな差別があったことを口にしたことはありません。それが、わたしらへの思いやりだったのか、本当にその経験がなかったのかはわかりませんが。……もちろん、わたしもここ、沖縄本島に出てきてから10年以上たちますが、自分の生まり島について、その出自で差別を受けたことはありません。わたしは宮古島にハンセン病の療養所があったことや、従軍慰安婦と呼ばれた方々の詰め所があったことも、成人するまで知りませんでした。親たちは教えてくれなかった。だから今でも本当なの、という気持ちでいます。差別ってあるのかな。ただ、それはわたしがびきどぅん、男だったからなのかもしれない、と。最近はそう思うようになりました
あきよ我が胆や 奥山ぬ枯木 朽ち果てぃるまでぃん 他所や知らん
恩納松下に 禁止の碑のたちゆす 恋しのぶまでの 禁止やないさめ
このふたつの有名な琉歌、わたしはこれを「いい歌だな」と思うと同時に、わたしたちのふるさと竜宮、琉球もやはりほかと変わらず、人間社会の嫌らしさと無縁ではなかったのだなという気持ちになります。
幼い頃に遊廓に売られ自らのこころは「奥山の枯れ木」だと歌った少女と
村の若者たちの憩いの場に立ち入り禁止の札を立てた王朝に「まさか恋するこころまでしばりはしないよね」と突きつけた娘
今と変わらない社会のいやらしさとそこに翻弄され、抗う子どもたち。
実際に少女に言葉を掛けて、被害を防ぐことのできなかったわたしたちができることは、少女の側に立って声を上げることです。暴漢に対して実際に立ち向かう力がない、臆病で情けないわたしたちだからこそ、こういう場で声を上げる必要があるのです。わたしたちが向き合って声を届けなければいけない子どもたちは、今も世界中の道に溢れています。夜回り先生にはなれないけど、ここでなら、ネットの上でなら、そんな子どもたちに寄り添うことはできるでしょう。
わたしが人外の道といったのは、札びらで頬を引っぱたくような方法で地域のコミュティーを破壊して道路を作る。惨劇を目の当たりにしていながらそこに思いを馳せることもなく核兵器保有論議を公言してはばからない。卑劣な犯罪の被害者に「あなたも悪い」と言い募り、そのこころの傷口をいっそう広げるような、子どもたちの胸に人間存在への不信を刻みつけるような、そういった非情なる行いです。
naokoさま、……なんだか向かい酒の酔いが回ってやな酒ふしが出てきたみたいですね。申し訳ありません。このところ嫌なことがつづいたもので。
村野瀬さまの所でも申し上げました。わたしはあなたの言論に尊敬の念を持っています。政治という社会全体の怪物ともたとえられる圧倒的な力の前にわたしたち個人はあまりにも非力だ。もう絶望的なほどに。ですが、だからこそ、わたしたちのように今、「語るゆとり」をもつものが、口を閉ざしてはいけないのです。繰り返しますが、実際に手を差し伸べて人助けをするにはわたしたちの力はあまりにも非力だ。ひとりの人間を救うのすらままならない。いつまでたってもなにもかわりはしないようにおもえる。だが、だから、だからこそわたしたちは沈黙するのではなく、その逆。声なき声に耳を傾け、そこに寄り添い、そこから一緒に声を出していきましょうよ。みんなで。ね、ずみさいが。
今度は楽しい酒を飲みましょう。わたしの子供時代のみゃーくは最高でした。次回はその思い出話でもお付き合いいただけますか。
味のある文章で、よくよく読んでみるとすごく含みがあり、自分もこんな文章を書きたいなあ… と思いました。
小難しい社会問題を小難しいままに書くのは簡単で、誰にでも読みやすく書くのは難しいです。
こんなスタイルもあるんだな、ととても感銘を受けました。
これからも読ませていただきます。よろしくお願いします。
おいしいご飯をおなかいっぱい食べた気分です。
そんなおいしい酒を飲みながら、じょうずに話ができるのはいいねえ。
でもね、差別をまったく知らずに育ったというのは、本当に幸せな環境にいたんだね。お父さんお母さんに感謝だね。
それから、やな酒ふしはやめなさい(笑)!
ちょっとグサリときましたよ。
ごんさんの言ってることはいちいちもっともなんだけどね。
『何も教えてもらっていない犬だった…』というのがごんさんの痛み、伝えたいことのひとつ。そして、一人じゃないと伝えたいという思い。わたしもそう思っている。でも、斑猫さんのところでは伝わらなかった。
わたしは『またしても米兵による凶悪事件』という騒ぎ方に疑問を感じていたから、すでにその点で、拒絶されていたのかもしれない。
それから、わたしには多少根拠のある人間不信もあってねえ…。
無視されるなら、それで仕方が無いかと思っていたところです。
所詮一人の人間が何を吼えたところで、とね。
今の人は、言葉のとおりにしか受け取らないからね。
いくら語っても、あまりに受け取り方が表面的だと、説明に時間がかかってしょうがないよ。
表現力の問題と言われたら、それまでだけど(笑)。
一人でもつたない言葉のひだを受け取っていただけて、本当に嬉しかったです。救われました。
ウヴァトゥバントゥヤ マァースゥーファイマイ スカラユファイマイ クラスガマタ カニュシャガマヨ
うゆばらんとぅみば うむいますかがみ 影やちゅんうとぅち 拝みぶさぬ
ばがつむどー
>この淡々としたユーモアがいい。
ユーモアの源泉は……ていうのを目指してみますた。なんちゃって。
あたしは、stoneflyさまのようなスラップスティックなのが読んでて楽しい。えぐってえぐってえぐり続けてご自分を崩壊させるまで思索を深めていく、ポーの手法ですよね、あれは。かっこいいけど、恐ろしくて私にはできません。修羅場を生きた経験がないから、自分を破壊したあと、戻ってくる自信がない。
なので「人間だもの」というチープで無難なところに吹きだまる。でも、たまにはいいですね。散文も。また書いてみよう。
「いくら温泉でも人間の行儀作法まで治してくれる温泉はない、
などというのは間違いだ。その人を溺死させればいい。」マークトゥエイン
はじめまして。
過分なるお褒めの言葉、恐縮至極にございます。正直、ちょっと感傷的すぎるし、なんでもないことを大袈裟にしちゃったかな、というのが出すときの気持ちでした。
>誰にでも読みやすく書くのは難しいです。こんなスタイルもあるんだな、
こんなふうに言っていただいてとてもうれしいです。お勉強に、その学資を稼ぐためのアルバイト、大変そうですが、余裕ができた折にでも、またいらしてください。
少々二日酔い気味です。ちょっとだけ頭痛が。粗相はありませんでしたか(笑)
>所詮一人の人間が何を吼えたところで、とね。
本当にそう思ってました?だとしたらもったいなく存じます。実はわたしも、いつも常々、そう思う、「俺なんかがいくらわめいてもな〜」思い当たるフシがあり過ぎるんです。ですが、naokoさまの人間存在に対する深い眼差しは、わたしのような僻地ブログも含めて、ネットで言論するものにとっては非常に有益なものだと確信しておりまする。
気が向いたらで結構ですので、これからもこちらにお立ち寄りくださいませ。笑いあり、涙あり、そして激情ありの楽しいおしゃべりを続けていきましょうよ。ろまんちっくさいが。
お励まし、ありがとうございます。プチ言論活動(笑)が滞らないよう、がんばります。
今後ともちょくちょく出現するかと思いますので、よろしくおつきあいいただければうれしいです。
うちのじーちゃんは地元の名士って感じでがちがち保守の頑固ジジイだったんですが、あたしらにとても優しくて、大学の医学部にはいったらベンツ(なにゆえ?ジャニスジョップリン)を買ってやる、って言ってました。でも、あたしがのんびりと浪人してるときに転んで頭打ってボケちゃいました。んであたしは結局、文学部に入ったわけですが、元気であれば、間に合っていれば軽自動車くらいは買ってもらえたかもしれません。
医学をこころざしてほしい。今はそんなおじいの気持ちがすこしわかります。
>言論活動(笑)が滞らないよう
くれぐれもほどほどに(笑)。お互い、無理せずじっくりといきましょう。