歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それを知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。
小林秀雄『歴史と文学』より(現代仮名遣いになおし、てあります)
あれだけおそろしい状況が生じたのにいまだにわからない大人たちがいることにわたしは驚愕している。
ブログではいろんなことを表現していいと思うのだけど、
たとえば戦争を体験した方が、
その「恐ろしさ」を風化させないために、
勇気を振り絞って、
「このことを決して忘れてはいけない」という思いのもと、
せつせつと日々の思いを綴ってらっしゃる。
先の大戦に関しては、そういった方々の手記がたくさん紹介されている。
たとえば「沖縄戦」について。
「意地のある男のいる世帯は早く死んだようでした」
http://teagon.seesaa.net/article/37543919.html こんな思いをしたら、誰でも、忘れようにも忘れられないよね。
どんなに忘れたくても。
近代的な立憲主義においては、憲法の本質は基本的人権の保障にあり、国家権力の行使に枠を嵌めて、無秩序で恣意的な権利侵害が行われないようにするためのものであるとされる。
現在wiki先生 『憲法』より
ネットをやっていると
ときたま頭のネジがゆるんでしまったような議論に出くわすことがある
たとえば、こういうものだ
曰く、
憲法九条は平和を守るための単なる「手段」なのだから、 その九条を守ることが「目的」化してるような護憲派はおかしいのでないか? 『「平和のためなら死んでもいい」ですか???』 だと。
わたしは、こういう意見に出くわすたびに失笑を禁じ得ない。
憲法とは人の世の「理想」を、未来に向けて投影した、典籍のことである。
いわば、人類社会の到達点(あるいは通過点)を示す「目標」のことなのだ。
『日本国憲法』にはこう書いてある。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 憲法は、
当時の日本国民が、
その胸に刻んだ、
その誓いを、ここに記してある、
その言葉、なのだ。
不思議に思うのは、
「わたしたちは、平和な社会を希求する。 わたしたちは、平和な社会の実現を夢見ている。 わたしの夢は、世界平和だ。 みんながそう思うことだ」 と言う人に、
「この人って夢が目的化してる。それってヘンですわよね。おほほほ」 と、突っ込むお人がいらっしゃること
まあ
今回の議論に
無駄に長い文はいらないかも知れない
問、『「平和のためなら死んでもいい」ですか???』 (その言葉、九条護憲派のわしらに向けてる言ってんだよね、じゃあ答えるよ)
答、じゃ、平和を守る「ため」に戦争して何を守るねん。 『日本国憲法第九条』
日本国民がどれだけの血を流して
この条文を手に入れたと思っているのだ
そして、
この条文を守る「ため」に
沖縄県民や、自衛隊のみなさんをはじめ、世界中ではたらく日本国民が
どれだけ苦労してきたと、思っているのだ
あなたは、
この条文がここから消えたら
その「ため」に
どれだけの血が流されるか
考えたことがあるのか
何が、
『「平和のためなら死んでもいい」ですか???』 だ。
少しは頭をはたらかせろ。
戦争ってのは最大級の国権発動、
「双方の国民による殺し合い」の合法化
国家による無差別テロだ。
九条はなあ、
それを国家に対して、
戒めてるんだよ
平和を守る「ため」に
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