巷(ってどこ?)で話題の村上春樹さんの受賞スピーチについて、です
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php何だかまとまらないけど、
いつまでもまとまらなさそうだから、
急いで出したいなと思うとこだけ、出しときます
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村上春樹は「どこそこのあの問題」に何もコミットしていない。だから「あいつが卵の側に立つことをもって自らを恃むのはおこがましい」などという意見が散見されるが(そしてそれは多くの場合「お前は壁の側だろう」という響きと共になされている)
そういう人は自分の言葉が、小説家「村上春樹」以外の人間にどのように届くかわかっていてそれをやっているのだろうか。
偽善者G
村上春樹が世界の(重要な)問題に何も為し得ていないと言う理由を持って
村上春樹を壁の側に追いやることは
全世界の個別な「やりきれなさ」を憂える人々を
壁の側に追いやることを意味している
壁の側に行く、この場合、潰れる卵としてなのか壁としてなのか
それはまったく問題ではない
村上春樹を批判する人々の多くが言うように
われわれがわれわれとしてここにある限り
言葉の遣い手として
「われわれの中に居る、わたし」は
常に卵であり、そして、壁でもあるのだから
村上春樹が「そこにある重大問題に対して何もしていない」ことをもって彼の言葉を批判するという論立てには重大な誤りがふたつある。ひとつは、それが壁の側にいるものの言い訳として、壁の持つ論理そのものを利するものでしかないということだ。そしてもうひとつは、これがいっそう罪深いことなのだが、卵の側に寄り添い、しかし解決策を見出せずに、こころやすらかでない日々を送っているものを「卵として壁にぶつかるか、壁の側に立つか」の2者択一に追い込むものだということ。「当事者としてどちらを取るか」というその選択は(村上春樹の言うような)小説家以外の多くの人々には、沈黙のショールを投げかけるものでしかない。そうして、しまいには
卵の側に寄り添い、言葉を発するものは(批判されるところの村上春樹のような小説家以外)どこにもいなくなる。わたしたちは、現在パレスチナで行われていることにコミットするように、以前のナチスドイツの行状とその多くの被害者にもコミットすべきであろう。その意味で、村上春樹の「常に卵の側に立つ」という言葉を、彼がパレスチナの人々に何も成し得ていないということをもって、現段階で、偽りだ、虚ろだと批判することのできるものが、今の日本にどれだけいるであろう。
今回の件における村上春樹の批判者には、ぜひともそのあたりのところを心に留め置いた上で、その論を展開することを願いたい。
偽善者G
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村上春樹を読んでみようかと思ったのは3回
一度目は、アンダーグラウンドのとき
その次は、ある人に勧められて
そして、今回ということになる
高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ
本気で自らの書くものを恃むものは
この言葉にある種のうらやましさをおぼえるはずである
国というシステムが生み出されたそのときから
「誠実を胸に刻むこと」
それを自らの本義と恃む
世界各国の文学の徒において
「常に(潰れる)卵の側に立つ」というその言葉が
国家という壁との対峙を意味することを
知らぬものはない
文学というものは常に想像できうる最後の瞬間を想定しているものである
「常に(潰れる)卵の側に立つ」
だが、もしかするとこの言葉が、
自由に、そして無垢のまま表出されていることの意味を知るものは
世界にはまだ少ないかもしれない
だから
この言葉が生き残る可能性については
それは、それを受け取った我々の問題だろう
読んだものすべてに関わりを求める
これはこんなふうな言葉である
現状に何かをしたはずだという自負があるものには
つらく、おもく
現場で何もしていないと日々を嘆くものは
一縷の光に照らされ
そして
今しなければいけないことはわかっているのに
もしかしたら
きっと最期まで何もできないんじゃないか
わたしたちはいつまでも傍観者としていさせられるのではないか、と焦る人に
それでいいのですと呼びかけてくる
それでいいではないかと訴えかけてくる
「居合わせるこの場で、自らの目で見て、潰される卵の側に立ちなさい」
そうはたらきかけてくる
そしてそれはもちろん逆から言えば
常に目を開き、嘆き、憤り、そして、焦り続けろ
という重い十字架であり
非戦の誓い、九条を守るために喋り続けろ
というメッセージだ、と
わたしは
受け止めたい
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わたしが卵のたとえで最初に思い描いたのは
バレーボールくらいの石を腹に結わえ付けて
息を引き取ったという零戦乗りの姿である
死に花を咲かせることのできなかった
その姿が
当時の民主主義の体現者である
アメリカ兵たちにどのように映ったか
プロパガンダに踊らされる人々と軍隊の蛮行
そして戦争そのものの愚劣さを唱えるとき
わたしは常にその沈黙の姿に脅かされる
その日本人に無言の即神仏の姿を要求した「日本人たち」が
今のわたしたちに重なるのだ
このわたしに、重なるのだ
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「常に卵の側に立つ」と「小説家」村上春樹は言った
問題のあの場で言った
アメリカ大統領が言えるだろうか
イスラエルの文学者が言えるだろうか
日本のジャーナリストが言えるだろうか
あなたには
言えるだろうか